桂大橋の中村軒

残暑


今年は行っていなかったので、9月に入ってから初かき氷。
桂離宮南側の中村軒さんは麦代餅が有名ですが、最近は夏のかき氷がお目当てのお客さんも多い様子。
普段の「宇治氷」「ミルク氷」「大島氷」などに加えて、時期限定の「イチゴ氷(初夏)」「マンゴー氷(盛夏)」、「すだち氷(残暑)」があります。
ちょうど今はすだち氷。
9月中はメニューに氷があるそうです。
やー、まさに残暑厳しく、って感じ。

今日も市内は気温が36度を超えていました。
でもなんかこう、不思議なことに、なんか地獄の38度2週間を味わう前とはなんかこう…辛さが違う感じがする…
こう…なんか…ダメージが違うよね…
もしかしたらレベルが上がったんかもしれん…耐暑値が上がりました的な…
人間、進化しとるでえ……

もうすぐ栗の季節が始まります。

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北野天満宮の雷除大祭

 

6月1日は北野天満宮の雷除大祭です。
張り出された看板だけ見ていると、怨霊と化した菅原道真公が雷を落としまくっている…のを宥めるお祭なのかと思いきや、実は北野天満宮の摂社である火之御子社の例祭です。
本殿への参道の途中にある火之御子社は、天暦元年(947年)の北野天満宮御鎮座の以前からこの地にあり、朝廷からの崇敬も篤いお社。
天満宮のHP(http://kitanotenmangu.or.jp/kitano_event/火之御子社例祭(ひのみこしゃれいさい)/)でも「元慶年間(877〜885)には、藤原時平(右大臣)の父基経(太政大臣)が五穀豊穣を祈願」と紹介されています。
藤原時平と言えば、歌舞伎の「天満宮菜種御供」通称時平の七笑いで有名な、道真公を陥れたとされる人物。
その父親が五穀豊穣を祈願していた、というのもなんとも興味深い話です。


火之御子社のお社。
御神紋は四角のぐるぐるで稲妻の紋です。

火之御子社の雷除け、というとなんとなく「落雷で火事にならないようにかな」とか「パソコンが壊れないようにかな」と思いますが、本分はやはり「五穀豊穣」。
昔から、農家では「雷の多い年は豊作」と言い伝えられてきました。
学校の理科の時間に「雷の窒素還元作用」として習った方も多いんじゃないでしょうか。
落雷が空気中の窒素分を固定し、それらが雨に溶け込んで畑に降り注ぐことで肥料の役割を果たし、豊作になる、という仕組みがわかってきたのは近代に入ってから。
科学が浸透するはるか以前から、畑に出ている人たちは経験的にそのことを知っていました。
雷が夕立の前触れだということもあったでしょうが、昔の人たちは、私たちが思うよりもずっと頼もしい思いで稲妻の光を眺めていたのかもしれません。
けれども雷が多いということは、反面落雷も多いということ。
それによる火事や事故も多かったのでしょう。
雷はたくさん、でも火事も事故もないように。
そういった思いがこのお祭の本質であるように思います。

でもまあ、地元民的には、天神さんのあるこの場所は元々雷が落ちやすい場所だったんじゃないかなあ、という気もします。
天神さんの境内を出て南側、上京警察署のある辺りの地名は「下の森」。
能や狂言で有名な土蜘蛛がいたと言われる場所。
畑に囲まれた、周りに高い場所のない地形もあいまって、鬱蒼とした森に繁る木々に雷が落ちなかったとも言い切れません。
もちろん、落ちたのだよ!落ちたんやがな!とも言えませんが、まあ、長い歴史のうちに何回かは落ちたこともあったでしょう…
たぶんな…
そんなわけで筆者としては、この場所に火之御子社が御鎮座していたということに、非常に納得であります。
うむうむ!ナイスチョイス!


ちなみに本年は6月1日は土曜日。
曇り空でしたが、幸い雨も降らず、修学旅行シーズンまっただ中とあって、中高生がたくさん。
本殿前の棚いっぱいに絵馬が奉納されていました。
合格祈願や成績向上のお願いごとに混じって「好きな人ともっとなかよくなれますように」なんていう絵馬もあったりして、私は非常にいやされました…
大丈夫…なれるよ…祈っとく…みんなちょうがんばれ…
うちもがんばれ……

そんな受験生のみなさんは年に一度の雷除大祭にはあんまり興味がないらしく、ご本殿まっしぐら。
ちょっとさみしいような、うちは知ってるんだぞ、という優越感のような…
単純に制服の青春オーラが眩しいような…
と思いつつ、本殿横のお守りの授与所へ。
雷除大祭の当日だけ授与されるのはこちらのお札。


画像は納められた古いものですが、私も授与所で1枚いただいて参りました。
やー、なんとなく授与所のお写真を撮らせていただくのは気が引けて…
今は朝の5時の開門から日暮れの閉門まで、数を限らずに授与していただけるようになったそうですが、かつては「北野千体札」と呼ばれ、1000枚限りのものだったとか。
主な御利益は、雷火の災厄除けとともに、やはり五穀豊穣。
私もいただいて来たお札を早速お祀りしたいと思います。

神様、よろしくお願いします!

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葵祭の飾り

 

井上「なんで虎柄なんですか?」
お兄さん「目立ちたかったんちゃう?」
井上「…なるほど」(艮とかなんかそんなんあるんちゃうかなソワソワ)


かつて都では、単に「祭」と言えば葵祭のことを指した、というのは有名な話。
葵祭の原型は奈良時代に始まり、平安時代には「源氏物語」の車争いの逸話に代表されるように、人々の耳目を集め、大変華やかであったと言われています。
現在は「京都三大祭」の一つとして、葵祭、祇園祭、時代祭とセットのように語られることが多くなっていますが、「京都三大祭」は近代に入ってから決められたもの。
市内の小学校では社会の時間に三大祭を覚えます。
おかげで割と大きくなるまで、どこの都道府県にも「三大祭」があるんだと思ってました。
すりこみすりこみ。

葵祭は正式名称を「賀茂祭」と言います。
いわゆる「葵祭」と呼ばれている5月15日の行列は、賀茂祭の一連の祭事のうち、斎王を中心とした女人列と、天皇の勅使からなる勅使列とが、御所から上賀茂神社と下鴨神社に向かう「路頭の儀」を再現したもの。
現在は斎王に代わる方として毎年「斎王代」の女性が選ばれ、ご奉仕されています。
この時、祭に関わる人たちが身につけるのが「葵楓の蔓」と呼ばれる飾り。
「あおいかつらのかずら」と読み、桂の枝にフタバアオイの葉を組み合わせたもの。
上賀茂、下鴨両社の象徴とも言える、これらの飾りを身につけることで、いつの間にか「葵祭」の名で親しまれるようになったのでしょう。
割とざっくりした経緯がらしいと言えばらしいような気もします。

早朝の準備の頃には、ぴんとみずみずしかった葉っぱも、午後、上賀茂神社に到着する頃にはすっかりしおれてしまいます。
一日歩いて日に焼けた顔と、乾いた葉っぱ。
これを見ると、「ああ、今年もよく晴れたな」と思います。
なんだかすがすがしい。
ちなみにこの飾りは終わった後、お守りとして持ち帰ります。

平成に入ってから一時期、このフタバアオイの数が減ってしまい、「このままでは飾りの数に足りなくなる」と危ぶまれたことがありました。
そのため、両社の周辺の小学校や一般家庭などでもフタバアオイの株を栽培し、葵祭のために準備するようになりました。
中でも「葵の御紋」で知られる徳川家ゆかりの静岡県の葵小学校が栽培に協力してくれたことは大きなニュースになりました。
その様子は、かつて上賀茂神社から徳川家へフタバアオイを送っていた「葵使」140年振りの復興と併せて、感慨深いものがありました。
かっこいいな、葵小学校…


騎女(むまのりおんな)と口取り。
ちょうかっこいい。
当然葵装備。
でも毎年、馬に食べられへんかな、と心配…
あかーん、お兄さんのちょうど食べやすい高さですやん…
馬は結構自由なので、よく行列の途中で道端の草を食べています。
特に賀茂街道辺りがおいしい模様。
あかーん、お兄さんの葵が心配やがな…


上賀茂神社から社家町を東へ、明神川のほとりにある藤木社。
御祭神は瀬織津姫神。
上賀茂神社を流れるならの小川は、賀茂川から分かれた後、神社の境内を通ってならの小川となり、境内を出て明神川と名前を変え、藤木社を境に生活用水として田畑を潤します。
その境界を守っているのが、このお社。
葵祭の日は、葵のお飾りをつけます。
大きな楠を背に、川のほとりに佇む小さなお社。
南へ流れて行く川を見ながら、「水」で繋がる昔の町を想像するのも一人旅のおすすめです。

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順番待ち

 

15日は葵祭でした。
よく晴れて夏のような暑さ。
ちょうど写真の奥、鴨川の左岸を賀茂街道が通っています。
上賀茂神社と下鴨神社を繋ぐ賀茂街道は、御所に並ぶ葵祭の鑑賞ポイント。
街道をトンネルのように覆うケヤキの大木が、カメラマンに新緑を、見物の人に木陰を提供してくれます。
ただし、行列の間は道の向こう側へ渡れなくなってしまうのが困りもの。
知らないと川と道の間でうろうろするはめになってしまいます。
そんな時は飛び石を渡って向こう岸へ…と思いきや、なんだかみんな「渡りたいから渡ってみる」的な感じがしなくもない…
大人だけどみんなと一緒ならいいかな、って感じなのかな。
順番待ちで並んでいるのもなんだかかわいい。

私は昔、夜中に調子乗って飛び石跳んでて、鴨川に財布を落としました。
さようなら財布ちゃん。

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