スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

北野天満宮の雷除大祭

 

6月1日は北野天満宮の雷除大祭です。
張り出された看板だけ見ていると、怨霊と化した菅原道真公が雷を落としまくっている…のを宥めるお祭なのかと思いきや、実は北野天満宮の摂社である火之御子社の例祭です。
本殿への参道の途中にある火之御子社は、天暦元年(947年)の北野天満宮御鎮座の以前からこの地にあり、朝廷からの崇敬も篤いお社。
天満宮のHP(http://kitanotenmangu.or.jp/kitano_event/火之御子社例祭(ひのみこしゃれいさい)/)でも「元慶年間(877〜885)には、藤原時平(右大臣)の父基経(太政大臣)が五穀豊穣を祈願」と紹介されています。
藤原時平と言えば、歌舞伎の「天満宮菜種御供」通称時平の七笑いで有名な、道真公を陥れたとされる人物。
その父親が五穀豊穣を祈願していた、というのもなんとも興味深い話です。


火之御子社のお社。
御神紋は四角のぐるぐるで稲妻の紋です。

火之御子社の雷除け、というとなんとなく「落雷で火事にならないようにかな」とか「パソコンが壊れないようにかな」と思いますが、本分はやはり「五穀豊穣」。
昔から、農家では「雷の多い年は豊作」と言い伝えられてきました。
学校の理科の時間に「雷の窒素還元作用」として習った方も多いんじゃないでしょうか。
落雷が空気中の窒素分を固定し、それらが雨に溶け込んで畑に降り注ぐことで肥料の役割を果たし、豊作になる、という仕組みがわかってきたのは近代に入ってから。
科学が浸透するはるか以前から、畑に出ている人たちは経験的にそのことを知っていました。
雷が夕立の前触れだということもあったでしょうが、昔の人たちは、私たちが思うよりもずっと頼もしい思いで稲妻の光を眺めていたのかもしれません。
けれども雷が多いということは、反面落雷も多いということ。
それによる火事や事故も多かったのでしょう。
雷はたくさん、でも火事も事故もないように。
そういった思いがこのお祭の本質であるように思います。

でもまあ、地元民的には、天神さんのあるこの場所は元々雷が落ちやすい場所だったんじゃないかなあ、という気もします。
天神さんの境内を出て南側、上京警察署のある辺りの地名は「下の森」。
能や狂言で有名な土蜘蛛がいたと言われる場所。
畑に囲まれた、周りに高い場所のない地形もあいまって、鬱蒼とした森に繁る木々に雷が落ちなかったとも言い切れません。
もちろん、落ちたのだよ!落ちたんやがな!とも言えませんが、まあ、長い歴史のうちに何回かは落ちたこともあったでしょう…
たぶんな…
そんなわけで筆者としては、この場所に火之御子社が御鎮座していたということに、非常に納得であります。
うむうむ!ナイスチョイス!


ちなみに本年は6月1日は土曜日。
曇り空でしたが、幸い雨も降らず、修学旅行シーズンまっただ中とあって、中高生がたくさん。
本殿前の棚いっぱいに絵馬が奉納されていました。
合格祈願や成績向上のお願いごとに混じって「好きな人ともっとなかよくなれますように」なんていう絵馬もあったりして、私は非常にいやされました…
大丈夫…なれるよ…祈っとく…みんなちょうがんばれ…
うちもがんばれ……

そんな受験生のみなさんは年に一度の雷除大祭にはあんまり興味がないらしく、ご本殿まっしぐら。
ちょっとさみしいような、うちは知ってるんだぞ、という優越感のような…
単純に制服の青春オーラが眩しいような…
と思いつつ、本殿横のお守りの授与所へ。
雷除大祭の当日だけ授与されるのはこちらのお札。


画像は納められた古いものですが、私も授与所で1枚いただいて参りました。
やー、なんとなく授与所のお写真を撮らせていただくのは気が引けて…
今は朝の5時の開門から日暮れの閉門まで、数を限らずに授与していただけるようになったそうですが、かつては「北野千体札」と呼ばれ、1000枚限りのものだったとか。
主な御利益は、雷火の災厄除けとともに、やはり五穀豊穣。
私もいただいて来たお札を早速お祀りしたいと思います。

神様、よろしくお願いします!

にほんブログ村 旅行ブログ 京都旅行へ
1